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経済学部なんていらない。AIが世の中を救うわけとは?

資本主義というのは正確な数学の計算によって成り立っているように見えますが、果たしてそうでしょうか。

交換とは?

経済は人と人の間の「交換」によって成り立ちます。

この交換は例えばコンビニだったら、お店側が、何かものをお客に与える代わりにそのものと同等の価値のお金を支払わなければなりません。

贈与的とは?

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人間の感情というのは喜怒哀楽に加えて懐かしい感情がありますが、例えば、バレンタイン。

女の子は好きな男の子にチョコというギフトをプレゼントします。

そしてチョコをもらった男の方は何かお返しをします。

バレンタイン以外にも、誕生日だったり好きな子や仲の良い人にギフトを与えます。

しかしこれはギフト(もの)を媒介として、感情(信頼、威信、恋愛)が人と人の間を移動します。

これを「贈与」と言います。

贈与は交換とは違い、その人に対しては同等の価値の見返りを求めないのです。

2人のカップルがいたとします。一方の男性がもう一方の女性が好きだとしたら、その男性はいくらでもその女性に対して、何かものを送り続けます。

それは交換のときとは違い、目に見えない人間同士の感情がそれをつき動かしているからです。

そして女性はその男性に対して、お返しをしなければなりません。

それは同等の価値のものではいけません。少し高いくらいのものが最適でしょう。

しかし高すぎても失礼になります。

またギフトを送るときは値札をそっと剥がします。贈与によって成り立つ2人の間のものの移動は、送るギフトそのものの価値より、それを送ることによって伴う感情の移動の方を重視しているからです。

つまり、贈与とは、人間同士の間で何かものを送ったと同時に、目には見えない、数字には表せない、感情の移動のことです。

交換の仕組みはAIに取って代わられる

しかし、資本主義経済が始まって以来、感情の移動を必要としない「交換」の経済は、物とお金の同等価値同士の交換という数字で測れる形で行われています。

「交換」の資本主義は、これらの贈与的な感情の移動を抜きにして、効率よくものの移動を可能にしています。

昔は交換よりも贈与のなかで人々は生活してきました。

何かものを交換するとき、昔の人は感情の移動抜きの交換(=贈与的ではない)は躊躇したくらいで、それを行う際は、市場を作ることによって一旦、ものを神のものとして超越的に扱い、ものを抽象的に扱うことによって、もの同士の交換を可能にしていたのです。

市場以外では、その地域やご近所同士での信頼関係は目には見えない、数では表しきれないような贈与で成り立っていました。

このように物流の移動(交換)は効率を重視する、記号的な行為だからこそ、AIが得意とする分野なのです。

AIは決められたルール内で膨大な過去のデータからある一定なことをするのに適しています。

つまり市場経済が取り巻く今の時代、もはや人間はこの分野でAIには勝てないのです。

結論

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結論です。

大学の経済学部に進学すれば、数学を必死に習わされます。(高校で数学を習っていないから生徒が多いいから)

高校のようにある明確な目的を必要としない、数学の学習は数学的な思考を育む上で大切ですが、経済学部のような手段のための数学を習うくらいなら、AIに任せた方が効率を優先する経済にとってはうってつけではないのでしょうか?

AIを導入するメリットとしては、

・感情を必要としない経済にとって決められた数学のルール内で効率化を目指すならAIがうってつけだから。

・人間がやるより効率的な上に、コスト削減につながる。

・AIに任せることによって感情が必要なお仕事に時間を割くことができ、サービスの質の向上が見込める。/span>

それより、機械が得意としない、人間にしかない感情を必要とする世の中が戻ると私は願っています。

そのためにはAIの導入です。

すなわちAIによって仕事が奪われると悲観している人はいつまでもこの負のスパイラルから抜け出せません。AIとはこのために導入されるのです(正確に言えばAI技術)。

感情がいらない決められたルール内で効率化を目指すならAIに任せた方がいいですし、こんなの人間のやるべき仕事ではないし、AIにその分野に関しては人間が勝てるわけありません。

このようにしてAIは人類を助けてくれるのです。

以上経済学部はいらない。でした。